彰見寺について About Shoukenji

 

ご挨拶

当寺は高田本山専修寺の末寺で、地理的にも一身田に近く、且つ本山門室との御縁も浅からず、又、代々篤信・好学の僧が住持職にあった影響もあり、わが門徒にも聞法篤信の士多く、この地に重きをなした真宗寺院です。親鸞聖人の歩まれた道をたどり、その教えに生き抜かれた多くの先祖の方々の思いを受け継ぎ、今あるべき姿を大切にして、日々、寺院活動に邁進しています。

宗 派/真宗高田派
寺 号/彰見寺
山 号/旭耀山
ご本尊/阿弥陀如来
所依の経典/浄土三部経(仏説無量寿経、
 仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)
宗 祖/親鸞聖人(1173~1262)
当寺開基/教専坊釈恵光(1417〜1505)
教 義/阿弥陀仏の浄土へ往生することを究極の目的としながら、本願念仏の教えによって、苦悩の現世を強く明るく生き抜く拠り所とする。阿弥陀如来という仏の願いによって、浄土に往生して仏になるという救いが、生きている今に定まる。それは仏の誓いを信じ、お念仏を申すことが浄土に生まれる因になるとすすめて下さる。南無阿弥陀仏を究極の拠り所として如来の願いに満たされ、苦悩の中で強く明るく生き抜く道を歩む人生を賜る。

本堂
本堂

寺号額
寺号額

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彰見寺由緒

1480年頃から20年程の間、中興の祖と崇められる高田派第十世真慧上人(1413~1512)の伊勢行化が盛んに行われた時期であった。そのことは三重県下各地に残っている真慧上人真筆の古文書などから、その状況を察することが出来る。上人の滞在せられたところには必ず門弟が出来て門徒が生まれた。上人はこれらの門弟に、御名号、野袈裟、棺腰巻、御所を下付された。ことに御名号は自筆で書くのを例とした。現在高田派に属する当地方の寺院の中にも、その創建の歴史を尋ねてみると、真慧上人の門化となり改宗したというものが少なくない。長享2年(1488年)4月18日、当寺もその例にもれず、住持の教専坊恵光は、真慧上人の門下に加わり改宗した。この時、真慧上人は御年55歳、恵光は72歳である。その恵光が彰見寺第1世である。

文亀2年(1502)、当寺は真慧上人から上人自筆の野袈裟を下付されたが、その野袈裟には「持主直参衆道場」と書かれていたことからすれば、その当時、当寺はまだ寺号を称してはいなかったことが窺える。「持主直参衆道場」とは、真慧上人から直接教化を受け、または本山に直属の道場ということであって、当寺は、以前からこの地方に存在した有力な寺院でもないし、また孫末寺でもなかったことから、真慧上人が直参した17坊の1つであったと伝えられている。そして、当時、この直参衆道場は「浜道場」と呼ばれていた。真慧上人真筆の御名号と野袈裟は永く当寺に伝持していたが、御名号は戦災で焼失した。彰見寺第4世智光院釈恵澄(1551〜1625)の代になり、「浜道場」は「旭耀山 彰見寺」と呼ぶに至った。 現在、当寺は大谷町と広明町に跨がる偕楽台地に寺基を構えている。

親鸞聖人御像
親鸞聖人御像

和楽殿
和楽殿

庭園
庭園

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彰見寺歴代住職

第1世 教専坊釈恵光(1417〜1505)
長享2年(1488)4月28日、真慧上人に帰依して改宗。直参17坊の1人。文亀2年(1502)3月29日に真慧上人から野袈裟を染筆して下付される。

第2世 覚能院釈恵運(  〜1523)
恵光の示寂と同時に住持職となる。

第3世 因成院釈恵了(  〜1557)
大永3年(1523)恵運の後を継いで住持職となる。弘治2年(1556)9月5日、比叡山大講堂建立の為、使僧が一身田に来たる。使僧持参の多羅葉を書写する。

第4世 智光院釈恵澄(1551〜1625)
彰見寺第3世恵了の附弟となる。永禄8年(1565)、15歳で当寺を相続した。高田派第12代堯慧上人より旭耀山彰見寺の山寺号を送られる。

第5世 遍満院釈光縁(1602〜1650)
彰見寺第1次本堂を建立する。

第6世 慈眼院釈普門上人(1636〜1692)
天性好学の人で、高田派の代表的学僧でもあった。幼少の折には勉学の為に門前の堀川で水垢離し、またお堂に日参して学業の増進を祈ったと伝えられている。承応2年(1653)に弟の清有に寺を托して21年の長きに亘って関東へ留学し、延宝元年(1673)38歳で帰津した。その翌年、長雄を後嗣として住職せしめ、自らは部田山荘に籠居し著作活動に専念した。上人の著作は数多いが、なかでも『教行信証師資発覆抄』250冊、『高田親鸞聖人絵伝撮要』3巻6冊はその代表的なものである。

※『教行信証師資発覆抄』・・・『顕浄土真実教行証文類』の註疏。本典の註疏としては存覚上人の『六要鈔』に次いで古く、冊数としては第一として注目される。著者の原本は当寺が保管されていたが、明治31年に高田本山門室文庫に収蔵された。その賞として、高田派第21世堯凞上人筆の十字九字名号本尊(絹本壱双)を下付された。

※『高田親鸞聖人絵伝撮要』・・・親鸞聖人の生誕の日を記した最も古い文献。覚如上人の『御伝鈔』を敷衍(ふえん)し、高田の所伝により増補したもの。序文によれば、著者は関東遍歴中に順信の記文を得て、これに顕智上人の語伝を加えて之を著作したと言われる。版木は昭和20年(1945)7月焼失。

第7世 成等覚院釈慈門長雄上人(1665〜1732)
延宝4年(1676)11月に普門上人の附弟となる。同月、得度し住持職となる。その後、延宝6年(1678)15歳の時、普門上人の関東遊学の跡に習い、単身で江戸に赴いて修学し、13年の期間を経て、元禄4年(1691)7月10日、27歳で帰寺した。長雄上人は荒廃した殿舎の整備に着手し、本堂を始めとする諸殿堂を一挙に再建した。享保6、7年頃、『彰見寺伝来記録』を手記した。伝来記録は昭和20年(1945)焼失。

第8世 報土院釈寿門鮮長上人(1693〜1753)
宝永2年(1705)13歳で長雄の附弟となる。

第9世 仏華厳三昧院釈松渓巍堂上人(1704-1756)
元文元年(1736)4月32歳の時、夏秋両安居に『成唯識論』を講述する。

第10世 慈尊院釈昭堂旭辧上人(1730〜1789)
境内正門北辺に経蔵を建立し、これに仏舎利を泰安し、毎年、舎利講式法要を営み、南辺に和敬寮を建てて、額究の所化に対して教学の指導を行った。本山の安居に出向した回数も多く、その度ごとに講録の執筆をした。

第11世 応供院釈光覚瑞辧上人(1808〜1826)

第12世 津梁院殿釈第雄智辧上人(  〜1830)
慈尊院講師の遺志により、『普門法語』を出版。

第13世 宣揚院殿釈大典教辧上人

第14世 有厚院殿釈徳恭円祁上人(1851〜1913)
御父は高田本山第二十世法主、清浄楽院宮円禧上人である。生涯を通じて本山と宗務とに大小になく関与し大僧正に叙せられた。上人は容姿端麗、書と画とに巧みに、漢詩を嗜んだ。また法話、座談にも説得力があり、終生一宗に重きをなした。※祁は礻(しめすへん)に阝(おおざと)

第15世 信証院殿釈智観啓調上人(1815〜1921)
明治43年(1910)、宗祖650回大遠忌法要を営んだ。これに先立ち、本堂、客殿、書院、庫裡、納屋に大修繕を施し、庭園並に茶室無夜国を補修した。

第16世 謙敬院殿釈隆文啓弁上人(1891〜1977)
法務の傍ら、児童・学生・工場労働者(柳山の東洋紡績等)への教化に邁進。高田本山宗務総長、少年保護施設事業、老人ホーム事業、司法保護などに尽力し、更には戦争の終末に臨んでは、戦死者並びに遺族の弔慰などに多忙を極めた。同志と共に、学術誌『高田学報』、『仏法』等の学術・信仰の雑誌を刊行。著述も多く残され、『円遵上人行実』、『堯熈上人年譜』、『彰見寺誌』、『円祥上人行実』、『堯熈上人行実』を次々に刊行した。財団法人津徳本会(現在の真宗三派の会 津徳本会)設立に際しては理事長としてその運営に携わり仏教普及の為に尽力した。また戦争で被災した寺の再建の為、旧寺町から現在の大谷町の地に寺基を移転する大事業をも成し遂げた。啓弁上人は宗教活動の上にも、宗政の上においても、更に学術的にも卓越した多くの業績を残し、彰見寺史上において、中興の祖として仰がれる存在の人である。

第17世 慧日院釈道生(1934〜  )※現住職
高田学苑非常勤講師、高田短期大学助教授、教授、教養学科長、学生部長などを歴任し、現在、真宗高田派鑑学、高田短期大学名誉教授。 第16世住職の後を受け、和楽殿、聞光堂、庫裡、寺標、図書室、茶所を整備。第16世遺稿『落ち葉焚き』、一光三尊仏奉迎記録『樹法雨』、『彰見寺誌(改訂版)』出版。昭和58年(1983)、一光三尊仏奉迎法要執行。昭和63年(1988)、当寺創建500年記念法要執行。平成20年(2008)、親鸞聖人750回遠忌報恩大法会執行。平成27年(2015)、一光三尊佛御開扉大法会執行。

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略年表

時 代 年 号 西 暦 歴 史
室町 応永24年 1417 彰見寺初祖教専坊恵光生る。
  長享2年 1488 彰見寺初祖教専坊恵光、真慧上人に帰依し改宗。
  明応9年 1500 真慧上人、川北道場へ野袈裟附与。
  文亀2年 1502 彰見寺初祖教専坊恵光の津浜道場が真慧上人より野袈裟を受く。
江戸 天和2年 1682 彰見寺第6世住職(慈眼院釋普門上人)、『教行信証師資発覆抄』100巻完稿。
  元禄3年 1690 彰見寺第6世住職(慈眼院釋普門上人)、『報恩講式略釈』起稿。
  元禄5年 1692 彰見寺第6世住職(慈眼院釋普門上人)著『当麻曼荼羅口訳』3巻出版。
  宝永3年 1706 普門著『高田親鸞聖人絵伝撮要』6巻3冊出版
  安政5年 1858 本山門室恒君(有厚院円祁)、彰見寺第十三世教弁の嗣となる。
明治 明治43年 1910 親鸞聖人650年大遠忌法要勤まる。
昭和 昭和36年 1961 親鸞聖人700年大遠忌法要厳修
  昭和40年 1965 彰見寺第16世住職 小妻隆文、『円遵上人行実』著述出版。
  昭和40年 1965 彰見寺第16世住職 小妻隆文、真宗高田派鑑学となる。
  昭和40年 1965 彰見寺第17世住職 小妻道生、高田短期大学助教授となる。
  昭和44年 1969 彰見寺第16世住職 小妻隆文、『堯熈上人年譜』執筆。
  昭和46年 1971 彰見寺第16世住職 小妻隆文、『彰見寺誌』著述出版
  昭和48年 1973 彰見寺第16世住職 小妻隆文、『円祥上人行実』著述出版
  昭和50年 1975 彰見寺第16世住職 小妻隆文、『堯熈上人行実』著述出版
  昭和50年 1975 彰見寺第16世住職 小妻隆文、真宗高田派講師となる。
  昭和53年 1978 鐘楼堂落慶法要厳修。
  昭和54年 1979 彰見寺第16世住職 小妻隆文著『落ち葉焚き』出版
  昭和58年 1983 一光三尊佛奉迎法要厳修。
  昭和58年 1983 一光三尊佛奉迎記録『樹法雨』出版。
  昭和63年 1988 彰見寺創建500年記念法要厳修。
平成 平成6年 1994 彰見寺第17世住職 小妻道生、高田短期大学名誉教授となる。
  平成7年 1995 彰見寺第17世住職 小妻道生、『彰見寺誌(改訂版)』出版
  平成9年 1997 彰見寺第17世住職 小妻道生、『こころのふるさと』著述出版
  平成11年 1999 彰見寺第17世住職 小妻道生、『こころのふるさと 第二輯』著述出版
  平成11年 1999 彰見寺第17世住職 小妻道生、『こころのふるさと 第二輯』著述出版
  平成11年 1999 彰見寺第17世住職 小妻道生、真宗高田派鑑学となる。
  平成16年 2004 彰見寺第17世住職 小妻道生、『こころのふるさと 第三輯』著述出版
  平成20年 2008 親鸞聖人750回遠忌報恩大法会厳修。