三重県津市にある学僧 普門上人を輩出した真宗高田派のお寺です。ご家族お揃いでお参りください。

彰見寺

2023年 秋

法語

失ったものを 数える人あり 与えられたものに 感謝する人あり

作者

豊島学由 師『法語カレンダー 令和四年五月』真宗教団連合より

あじわい

 この法語に出会ったとき、「数える人」と「感謝する人」とは比較されているのだろうか。別人だろうか、同一人物だろうか、と色々に考えました。皆様はいかがお考えになりますか。
 「失った」ということは、「居た、あるいは持っていた」と確かに認識していた存在が目の前から消えることです。失えば悲しみや不便さの感情が伴うことでしょう。
 この法語には、「失ったものを数える」ということは、元には戻らないのに数えることそのものに意味が無い、ただの愚痴である、という意見もありました。
 しかし、あまりに大切な存在を失うことにより「まずは数える」しか心の持って行きようが無い時もあります。そして、いつしか数えきった頃には、数えてきたからこそ出会えて良かったと感謝出来るのです。
 また、失った物事にさえ気づけず、あるいは意識的に「失っていないことにする」という場合、数えることすらありません。当寺に住む元保護犬の二匹を見ていると思います。保護された時汚れで毛はチリチリでした。体も痩せ細り、私たちが体をなでようとすると「叩かないで」とおびえて体を反らせて目を閉じました。生まれた時から当たり前の生活が無いことが普通で、無いのだという意識さえもなかったことでしょう。「失ったんだなぁ」と、まず失ったものを数えることが出来るという幸せの形、それがすなわち感謝ということなのだと思います。
 「よく頑張って数えましたね。つらかったでしょう。しかし、それは出会えた証でもあるのです。また数えたくなったら、今度は一緒に数えましょう」と、ほとけさまが見守ってくださっています。